2008年10月17日

八百長疑惑に揺れる大相撲

容疑者Xの続きではないが、

真実を暴いてもマスコミ以外は

誰も得をしないのがこの問題。



なんやかんやと責任の所在を曖昧にして
そのうち、なんとなくいなしてしまう
この国の国技、神事であるぞ、

根回しと八百長は天と地ほどの差があるのだ。


あの小泉純一郎さんがいきなり何かを断行すると
根回しが足りない、と非難するくせに

いまさら、何ほじくってんだ、って感じだ。




子供の頃、大相撲の巡業を父に連れられ
地元の中島スポーツセンターではじめて見た。

自分の記憶では、パンフレットに載っていた
道産子力士が25人いたのだが、
そのうち24人が勝った。

それも
あの不利な体勢からよく勝てたな〜

と子供ながらに感心するような一番もあり、

「次もまた○○○が勝つのか〜」
と館内からも野次が飛び、

つまり、相撲とはそういうものなのだ、
子供でも知っている(笑)。

これ以上、八百長がどうのこうのという
無粋なマネは止めたまえ。




自分の父は

「プロレス?、あんなの八百長だ、くだらない」

と言うのだが、

その境界線は、

  噴出した血が本物か、ニセモノか

これに尽きるようだ。



まあ、大相撲が八百長と騒ぐ人達には、
くれぐれも根回しと八百長を混同しないように
して欲しいものだ(笑)。




ちなみに八百長といわれる由来は

八百長は、明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべい)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が勝っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫のご機嫌をとっていた。

ところがその後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているように見せながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ばれるようになった。

 ※八百長の由来はウィキペディアより抜粋
posted by hoshio at 23:27| Comment(0) | 日本の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。