2008年10月16日

容疑者Xの献身

今日、妻と一緒に容疑者Xの献身を観てきた。

予想外だったが、実に面白かった(湯川風に)。


ただ、面白いというのは、

見終わった後に爽快感のある面白さではないので、

テレビのノリを期待して観に行くと
ちょっとイメージが違うかも知れない。

かなり重い映画だった。



自分はミステリー小説の類が苦手だ。
その理由は登場人物たちの耐えられないほどの軽さにあるのだ。

そして誰もいなくなった、と言われても
「最初から誰もいねーじゃねーか」
みたいな。


この映画が面白かったのは、
トリックよりも
人間ドラマにより比重を感じたからだと思うのだ。



ちなみに超期待はずれだった相棒劇場版の

100倍おもしろかった

もしかすると、これから観に行く方もおられるかも
しれないので、あれこれ書けないけど、

自分としては、
待つ身が辛いか、待たせる身が辛いか
についてあらためて考えさせられた映画だったと思う。

良い、悪いで考えれば、待たせる方が悪いに
決まっているのだが、しかし

待たせる身が感情豊かであればあるほど、
待たせてしまう自分の罪と、待つ人の悲しみの
二人分を背負うことになる。

どちらかの辛さを選択しなければならないとしたら、
待つ身の方があるいは気楽なのかもしれない。


天才数学者の石神(堤真一)にしてみれば、
どん底で知った母子(松雪泰子)への感謝、愛に似た感情は
おそらくは初めてのものであったろうと思う。

ガリレオ湯川(福山雅治)と雪山に上り、
眼下の風景を見下ろしながら
「美しい、そう感じる自分の今は充実している」
ようなことを語ったが、それは
母子への献身を通して知った生きる喜びだったろうか。

彼が満ち足りた献身という行為は、
待つ身のものだろうと思う。

母子がこれから背負って行く悲しみにまで
考えが及んでいない、

もし母子が幸せに生きて行くとするなら
彼のことを忘れ去らなければならないだろうが、
それがどんなに困難なことであるか。

忘れ去られると想定することが
また、彼の哀れさでもあるのだが。


真実を暴いたとしても誰も幸せにならないと苦悩した上での
ラストでの湯川の冷酷に見える行為は、

石神に感情移入していたうちの妻には不評だったようで
やっぱりそうなっちゃうの、とガッカリしたそうだが、

自分としてはそうは思わなく、あれがハッピーエンド
なんだろうと思う。

刑務所の天井を見つめながら、やがて
母子の待たせる身の辛さを理解するだろうし、
それを知らせた湯川の友情を知るだろうと思う。











posted by hoshio at 22:31| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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